2018. 6.21 木曜日

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リタイアして、まだ8カ月ほどしか経過していないのに・・・・。

所得がなくなって隠居生活を強いられている矢先に、冷蔵庫が壊れてしまった。

購入して15年以上は使っている冷蔵庫なので、仕方がないと言えばそうだが・・・。

実は、去年の暮れのある日、突然冷蔵庫の内部が凍ってしまったことがあるのだ・・・。

今年の春に、車中泊旅に出発する予定だったので、ちょっと心配していたのだ。

旅の留守中に故障して全てが凍結して、その後にコンプレッサーが回らなくなり・・・。

食料が腐敗するのは構わないが、融けた水が冷蔵庫からあふれ出すのを恐れた。

床面をぬらし、そのままの状態で数十日も放置して置くと・・・。

床フロアーが水浸しでだめになるかもしれない・・・などと考えると・・・不安が募るのだ。

旅前の去年の暮れに、電気屋を巡ってみたが、中々これと言ったものがなかった。

仕方なしに、そのまま旅に出発して、旅中は無事に済んだのだが・・・。



2日ほど前の朝に冷蔵庫を開けると、また以前のように物が凍っていた。

サラダ用にカットしたレタスを、皿に乗せて置いてあったが・・・冷凍になっていた・・・。

昨日の朝も、チルド室に入れていた肉類が凍っている。

これはいよいよ冷蔵庫を新調しなければと判断し、早速電気屋を廻った。

我が家は野菜を食べるのが多く、今までの冷蔵庫の野菜室は中間にあった。

冷凍室が最下段で、その上にチルド・パーシャル(微凍結)の切替室があった。

腰に不安のある愛妻は、今まで通り野菜室の高い位置のを所望していたのだが。



冷蔵庫売り場では、野菜室が一番下にあるメーカーや機種の製品が多い。

野菜室の高い位置にあるメーカーでも、その後の修理に不安のない所を選びたい。

当初から、野菜室の高い位置が絶対条件だと思っていたのだが・・・。

うまくいかないもので、絶対条件を第一に考えると、思ったものがない。

大きさや、チルド室が冷凍に切り替えできる機種、価格、メーカーなどなど・・・。

冷蔵庫は主婦が一番使うので、冷蔵庫の購入決定権は愛妻に委譲した。

             20180621(4)R.jpg

そして、愛妻が結論を出したのは・・・野菜室が一番低い位置にある冷蔵庫・・・(笑)。

     20180621(3)R.jpg

エッ・・・今までの絶対条件は何だったのか・・・そして何が一番必要なのか・・・。



結果的に第1の決め手は、今までのようにチルド室が切り替えで微凍結になる機種。

20180621(2)R.jpg

メーカーは今までと同じで、大きさは50リットルほど大きくなったのか・・・。

2人暮らしの生活になったのに、今までよりも小さな冷蔵庫は選べなかった(笑)。

そしてトマトをたくさん入れれる、野菜室の大きな機種に(笑)・・・。

価格も大きさもほどほどを選び、低い野菜室の出し入れは椅子を使って対応する(笑)。

隠居生活にはいったのだから、冷蔵庫を買うのは人生最後にしてもらいたいと思う・・・。

車もきっと買い替えすることはない(その時は免許返納)と思うのだが・・・。

今後は食べる部分は別にして、それ以外の経費は掛からないほうが良いのだ・・・。

そんな生活を考えないと、遊びにも行けなくなるから・・・。



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2018.06.21 Thu l 老後の普段の生活 l コメント (11) l top
2018. 6.19 火曜日

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娘2号の長女である孫3号が4年生になり、娘が結婚して11年を迎えている。

結婚前に揃えた電気製品も、そろそろ寿命が来てもおかしくない時期に来ている。

これから買い替えのラッシュが襲ってきそうだが、まだ具体的にはなってはいない。

だが、2階にテレビがほしかったようで、居間のテレビを昨年末に買い換えた。

新しいテレビを居間に設置し、そこにあった古いテレビを2階に移動していたが・・・。

その新しく買ったテレビが故障し、命令もしないのに画面がついたり消えたりしていた。

そして購入先に電話し修理してもらうことにしていたが・・・。

今日修理に来るとのことで、しばらく電源を入れておいてほしいと依頼があったようだ。

テレビはすでに外して置いてあったので、我が家に「SOS」の内線が入っていた。



延長コードを持ち込んで、テレビに電源を入れて待っていると・・・・。

やがてメーカー修理がやってきたが、残念ながら故障の現象が現れなかった。

かなり昔は、テレビの故障は部品を直接取り換えて修理したのだが・・・。

今は故障個所と思われる電子部品基盤全体を交換することで、その修理を終える。

大昔に自分がコンピューターの修理を行っていた時も、そうだったのだが・・・。

高額なコンピューターを、早く治して早急に使えるようにすることが必要だったからだ。

想定される故障個所の基盤を交換して、症状が無くなるとそれで修理が完了だ。

メカ部分は、アッセンブリー(組み上がった部品)を交換して終える。



娘の家のテレビは、修理するとき故障の現象が出ていなかった。

修理の人は「故障が考えられる所を交換して様子を見て」と部品交換を始めた。

テレビの裏カバーを外すと、大きなプリント基盤2個と、配線部品をすべて外した。

結局液晶画面と基盤の1つを交換し、さっさと配線やほかの基盤を組み立て始めた。

部品の半分を交換したようなもので、テレビは半分新しくなった事になる。

聞くところによると、そのテレビは見本としていた現品限りのテレビだったとか。

それを値引き購入して半年使っていたが故障し、そのうちの重要な部分が新品となった。

しかも保証期間中なので、全て無料で済んで、娘はほっとしている。



自分も孫の遊び相手をしながら、娘の家で修理を見守っていた・・・。

折角専門家がいるので、移動車のテレビアンテナについていろいろ聞いてみた。

難しい話は分からないが、20素子ほどの80㏈以上の出力アンテナが良いようだ。

そのくらいあると大抵の場所はテレビが見れるようだが・・・大きいアンテナとなる。

あまり出力が高すぎても映りが悪い場所もあり、そんなときはアンテナの方向で調整。

とはいうものの、電波にノイズはつきもので、水道に例えて説明してくれた。

水が清くても「ちょろちょろ」では困るし、「ジャージャー」でも濁っていたら使えないと・・・。

分かりやすいような分からないような説明だったが(笑)

電波が強くてもノイズを大きく拾ってしまうと、写りも良くないと言うことなのだろう・・・。

又、アンテナ2本で拾ったの電波を合算させることで、映りを良くすることも可能だと。

話すと長くなるが(笑)、自分の車中泊車用に2つのアンテナを購入していた。

20180619.jpg20180619(1).jpg

その2つを取り付けて一つの端子として、ブースターに接続することも可能のようだ。

春の前半旅では、完全にフルセグが映った道の駅は意外と少ない。

ワンセグで何局かしか映らなかった場所が相当数あり、我慢したことも多い。

そしてワンセグ1局さえ映らず、別な道の駅に移動したことも2度や3度ではない。

予定している後半旅までは、アンテナ2個を取り付けて試験してみる価値はありそうだ。




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2018.06.19 Tue l 老後の普段の生活 l コメント (4) l top
2018. 6.16 土曜日

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今年の自分は古希を迎えたが、両親はすでに他界している。

父は昭和47年に54歳の若さで他界し、母は平成25年に93歳でこの世を去った。

存命だったならば、父が丁度100歳で、母は98歳になっているのだが・・・。

自分は父にそっくりだと言われていたが、父が他界してからは母似だとも言われた。

間違いなく自分は亡き父母の子であることは、自分でも自覚している。

余りにも父似なので、自分が父の死亡した54歳を超せるのか少し不安に思った。



もちろん54歳になる年の不安は口には出さず、愛妻にも話してはいなかった・・・。

そして自分が54歳の誕生日を迎え、日1日と55歳になるのに耐えていた(笑)。

その1年は非常に長い1年となり、55歳の誕生日に初めてその心境を愛妻に話した。

冗談のように聞こえるのだが、父の54歳を超せるかと言う事に幾分恐れがあった。

若くして父が亡くなったことで、自分は若くしては死なれないという思いが強かった。

それに比べて、それを越して現在までは、あっという間に過ぎた感じだ。

自分が還暦を超え、さらには古希となった今、父の死亡した年を15年も長生きした。

昔でいえば、稀な年齢(古希)まで生きたこともあり、55歳の時の心境とは大きく違う。



母は5年前に93歳で命を落とし、父より40歳ほど長生きできたことになる。

亡くなる 1 カ月前までは、自分で食べれて、トイレに行けて、寝て起きれた。

唯一風呂だけは、転ぶ事を恐れて、デイサービスを使用させてもらったが・・・。

そんな母もノロウイルスやインフルエンザなどで、体力を落としたようだ。

最後に入院して食べれなくなり、一ケ月もしないうちのみるみる弱って天に召された。



母は高齢になっても元気で居られて、父の分も長生き出来たことに感謝している。

自分は父の年より15年も長生きしたが、父母の平均年齢まではあと4~5年。

足腰は弱ったがまだまだ遊びに行ける年齢で、4~5年は車中泊を楽しみたいが。

あと25年経てば、母の93歳を終えてしまうのだが、果たして超えれるだろうか(笑)。

いやいや、どう考えても、そこまで長生きするのは無理な気がするのだが・・・。



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2018.06.16 Sat l 老後の普段の生活 l コメント (6) l top
2018. 6.15 金曜日

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今までの69年間の人生の極一部以外は、朝の目覚めで一日が始まっている。

ごく一部とは、稀に仕事であったり、家族、親せきの通夜での徹夜があるからだ。

そうそう、二十歳のころは高校時代の仲間と、トランプのゲームで徹夜した(笑)。

それ以外では夜か真夜中に眠りについて、朝に目を覚まして生きていることを実感した。

その目覚まし方も世代(年齢)によって異なり、今の目覚め方が一番理想的だ。



目覚めの事情 その1  小中高校時代

就学前のことは覚えていないが、起こされたのか自分で起きたのか、その両方なのか。

記憶がないく、その様子を紹介出来ないので事情の説明は失礼する。

小学校に入学してから高校を卒業するまでは、朝の目覚めは両親任せだ。

もちろん圧倒的に起こされる目覚めが多く、自分から進んで起きようとはしない。

声を掛けられて意識が多少回復するが、すぐ起きることはなかったようだ。

再び意識をなくして、次に起こされる時には、登校時間が迫っていて急いで支度。

中には朝食を噛み噛み登校したり、時には食べる時間を省いたりした記憶もある。

起床は家族頼りでいながら、遅刻するほどの事はなく、平穏無事に過ごした時代だ。



目覚めの事情 その2

その家族任せの目覚めは、高卒後の東京での学業や就職での一人暮らしで一変した。

もう誰も起こしてくれる人はおらず、何としてでも自分の責任で起床するしかないのだ。

生来、根がまじめな方で(笑)、遅刻しても良いと言う勇気?は持ち合わせていない。

目覚まし時計を用意して、何とか時計に起こしてもらおうとスタートした。
              20180615 (1)
学校が9時からで住居も近くだったので、最初のころは順調で遅刻はなかったが・・・。

慣れたころが一番危険で、目覚ましを止めて寝てしまったことがある。

今のように、スヌーズ機能のある時計はなかったので、一度止めたらアウトだ。
    20180615 (3)
一度失敗して学校を遅刻してしまい、時計をもう1個購入して目覚ましを2個にしたが。

    20180615 (1)20180615 (1)

1個も2個もベルを止めてしまったら終わりで(笑)、やはり失敗してしまったのだ。
    20180615 (2)
そこでどうすればいいか考えた・・・そして一つの案をひねり出したのだ。

電気屋に行ってタイマーと100V用のブザーを購入し、それをセットして寝ることにした。

止めたら同じではないかと思われるが、起きていかなければ止めれないのだ。

音は大きいし永く鳴らすとご近所さんにも迷惑なので、これは抜群に効果があった(笑)。



目覚めの事情 その3

家庭の事情で北海道に戻って再就職してからは、母と同居で目覚ましだけでよかった。

そのうち結婚して家族が増えたサラリーマン時代の前半は、目覚ましだけで起きれた。

安全のために自分用と愛妻用の2つの目覚ましが、朝の時間を見張ってくれた。

若いうちはあれほど眠たかったのだが、年を重ねると不思議に自然と目が覚めた。

サラリーマンの終盤では、目覚ましが無くても一定時間に起きれるようになった。

つくずく、年をとったと認識せざるを得ない時代であった。

それでもやはり寝過ごしてはいけないと、朝の緊張感が有ったことは否定できない。



目覚めの事情 その4

就職先を多少早めに退職して、その後再々就職しセミリタイアの生活を送った。

セミリタイア時代では、就業時間が決まったおらず、仕事をこなせばよかった。

その仕事も意外と時間に余裕があって、めったに9時からの仕事はなかったのが良い。

早い時だけ目覚ましをセットしても、ほとんどその前に目覚めたので緊張はない。

6時頃の目覚めがいつしか5時半頃の目覚めとなり、さらに年をとったと自覚した。

セミリタイア時代を11年以上続け、リタイア後は全く目覚ましが必要のない世代となった。

目覚ましのセットを忘れる心配もないし、寝坊して慌てることもない良い世代になった。

自然の目覚めに全てを任せ、時間を自由に使い、時間が制約されることもない。

それでも時間的に一定の生活パターンがあり、朝寝、朝酒(下戸だが)、朝湯はない。

6時頃には新聞を読み始め、読み終わったらブログを徘徊している。

午前中には畑仕事に出るようにしていて、昼食後の午後からはテレビ観戦。

夕食前にはブログの更新をして、夜もテレビ観戦していて、まだ他の趣味は持ってない。

これからも今のように、ゆったりとした自然に任せた緊張感のない目覚めを楽しみたい。

余り緊張感がないと、早くぼけるのかもしれないのだが・・・。

こんな生活をいつまで続けれるかは分からないが、そのうち目覚めなくなるまで(笑)。




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2018.06.15 Fri l 老後の普段の生活 l コメント (8) l top
2018. 6.13 水曜日

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子どものころは大した夢も持たずに、成り行き任せで過ごしてきた。

貧しい脳しか持っていないに、大した勉強もせずにいたので行く末は知れていた。

スポーツが得意な訳でもなく、歌がうまい訳でもなく、演技が出来る訳でもない。

強いコネのある家系ではないし、どんな職業に就くのかも漠然としていた。

高校を卒業するとき就職も考えたが、何のとりえもない者に職場がある訳もない。

技術を身に着けたいと、東京の専門学校でコンピューターのハード(機械)を学んだ。

当時は先進的な世界で、卒業後は一応、電子計算機の技術屋になった。



その後家庭の事情で北海道に帰ることになり、地元で運良く再就職できた。

専門学校に入学した履歴だけで、業務の電算化を任され、面白い毎日を送った。

その後も忙しい部署に異動し、毎日が結構きつい仕事を経験してきた。

そんな忙しい毎日を送っていると、段々と業務からの逃避を考えるようになった。

さぼるということではなく、「早く定年になりたい」症候群に襲われたのだ(笑)。

「退職後は田舎でのんびりと暮らしたい、畑を耕しながら暇なときは釣りをしたい」と。

今よりもっと田舎に住み、半農半漁の生活にあこがれたのだ・・・。
20180613(1).png
退職後は海の近くの田舎に移住し、仙人(仙人は山?)になりたいと思っていたが・・・。

現実を見つめると、そんな簡単な話になるはずがない。

家は、家族は、費用は、買い物は、通院は・・・問題山積で、結局は今までのところに。



それでも、完全リタイアしてからは生活は一変し、精神的にも開放された。

明日の仕事を考えたり、段取りをしたりすることが必要なくなった。

わずらわしい問題もなくなり、対人関係もなく、毎日「のほほん」とくらしている。

昨日のブログ話題の「晴耕雨旅」ではないが、天気任せで行動するのが気楽だ。

ありがたいことに、多くはないが年金もあり、古い家と家庭菜園の土地もある。

仙人であっても、霞を食べて生活してしても居られないのでわずかな野菜をつくる。

幸いにして物欲の無い節約生活が身についているので、食べることはできそうだ。

子どもたちはすでに各家庭をもち、親の責任は果たしてきたつもりだ。

大きな病気をしたら諦めの出来る年となったし、大きな出費はいらない。

家庭菜園で失敗しても、それほど生活に影響があるわけではない(気楽)。

核の廃棄や検証、体制保障や外交問題は考えることはない(難しい問題はない)。

考えることと言ったら、今日の夕食のことや、あしたの天気、テレビ番組だけか。

今では夢の仙人ではないが、プレッシャーやリスクの無い自由な暮らしをしている。

20180613.png

これって、人生の夢(仙人)を(ほぼ)達成したことになるのだろうか(笑)。

不信心なので「信ずれば救われる」はないが、「頑張れば報われる」は達成可能だ。




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2018.06.13 Wed l 老後の普段の生活 l コメント (10) l top