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「懲戒権」と言う言葉や法律があることを、テレビで初めて知った。
企業や雇い主が、悪事を働いた社員らを戒める権利かと思いきや・・・。
民法で定める、「保護者らが子に対してこらしめを行う権利」だそうだ。
子どもに「言う事を聞かせる(親のエゴ?)」ための権利としか思えないが・・・。
「躾」をググると、規範、規律や礼儀作法の立ち振る舞いで訓練すること・・・とあるが・・・。
躾(しつけ)と称して、親が子を虐待して死亡させたり怪我をさせる事案が多発している。
私感ではあるが躾は、コンプライアンスの順守や万物への優しさの心への誘導か・・・。
もちろん、一般的(何が一般化は別にして)なマナーも含まれ、躾の範囲は広い。
子どもの躾は、基本的に家庭でするものと考えるし、自分でもそうして来たつもりだ。
もちろん学校の先生も関わって来るが、先生に押し付けるもではない。
懲戒権には「概念的には伝統的な子供への誉め方や罰し方も含む」とあるのだが・・・。
「罰し方」そのものは、暴力や体罰につながることが多く、躾=懲戒権 ではない。
小さい時から子供にしっかりと、言葉で言い聞かせながら教える。

すうる事で、そのことが自然と立ち振る舞いに、にじみ出てくると考える。
自分は末っ子で、父親にかわいがられたが、手を上げられた思いはない。
いたずらっ子だったのか、体の小さい母からは何度かつねられた(笑)。
小学生の頃には、母と同じ体格になり、体力的には自分に分があったからだろう。
食も細かったし就学前は体が弱く、幼稚園への通園も医者から禁止さた。
そんな訳で両親からは、なんでもたくさん食べるように躾された思いが強い。
おかげで、ゲテモノ以外はなんでも食べれて、楽しい食生活人生を送る(嬉)。
自分の子育ての躾は、虐待することなく(笑)、意外とすんなり育ってくれた。
そんな自分でも、聞き分けの良かった子だったが、一度だけ泣く泣く(軽く)ビンタした。
「これだけは聞かせねば」との思いだったのだが、後味はすごく悪かった。
躾をするにも、覚悟がいることを痛感した瞬間だった。
子どもが学校に通っている時友達から、「あんたの親は厳しい」と言われたそうだ(笑)。
厳しくしたつもりはないし、子どもとなんでも話をしたのでそれが躾になると実感した。
親子の関係うまくいっていないと、躾をしても聞く耳を持たないのかも知れない。
もちろん躾に体罰や虐待があってはならないし、躾そのものをおろそかにはできない。
躾と称して虐待する親は、同じように親から体罰を受けて育ったのだろうか。
我が孫も、親からうるさく躾されていると思うが、見ている限りは体罰はないようだ。
孫は「ゲーム禁止」にも素直に従っているようだが、他にも罰があるのだろうか(笑)。
少なくても、禁止令を解くのを忘れないようにしてあげてほしい(婿殿へ・笑)。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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