2016. 1. 4 月曜日
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我が家に最も親しかった亡き母の弟である叔父が、帰らぬ人となった。
我が父が54歳で他界したため、まるで父親がわりの叔父だった。
1月1日になったばかりの午前0時40分頃、病院で息を引き取った。
昨年の5月頃、軽い脳梗塞で倒れてから、7カ月ほどの闘病生活だった。
最初の入院は1カ月ほどだが、一度入院すると老い込むのだろうか。
自分は感じなかったが、叔父の家族は最近は認知症の症状があったと話してくれた。
我が家には同じ市内に住んでいることもあり、ちょくちょく訪ねて来てくれた。
最も親しい叔父だったのだが、91歳で亡くなり誠に残念だ。
叔父は85歳過ぎまで、自分で車を運転していた。
軽い物損事故を契機に、家族に免許書更新を止められた。
車に乗れず行動に支障が出ると、我が家に来てはぼやいていた。
それでも電動アシスト自転車お購入し、良く我が家にも来ていた。
昨日お通夜、今日告別式が行われ、あっという間に帰らぬ仏となってしまった。
2日間の葬儀は、叔父が90過ぎだったこともあり、還暦過ぎの従兄がにぎやかだ。
こんな時しか会えないとばかりに、まるで従兄会のような通夜だった。
叔父の思い出話や、従妹たちの子どもの頃の話で盛り上がり、酒も進んだようだ。
焼き場での骨上げの時、係の人が、「骨のしっかりした人だ」と話していた。
「遺骨が重たい」とも話し、元気だった叔父は骨太だからだと思った。
繰り上げ法要が終わり、従兄である喪主が挨拶で涙を流す場面が印象的だった。
3カ月ほど叔父に合えなかったことが、本当に悔やまれる葬儀となった。
天国では、妻(我が叔母)や、姉(我が母)、義兄(我が父)に逢えただろうか。
4人は仲良がかったので、あちらでも仲良くしてほしいものだとつくづく思った。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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最初の入院は1カ月ほどだが、一度入院すると老い込むのだろうか。
自分は感じなかったが、叔父の家族は最近は認知症の症状があったと話してくれた。
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最も親しい叔父だったのだが、91歳で亡くなり誠に残念だ。
叔父は85歳過ぎまで、自分で車を運転していた。
軽い物損事故を契機に、家族に免許書更新を止められた。
車に乗れず行動に支障が出ると、我が家に来てはぼやいていた。
それでも電動アシスト自転車お購入し、良く我が家にも来ていた。
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2日間の葬儀は、叔父が90過ぎだったこともあり、還暦過ぎの従兄がにぎやかだ。
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叔父の思い出話や、従妹たちの子どもの頃の話で盛り上がり、酒も進んだようだ。
焼き場での骨上げの時、係の人が、「骨のしっかりした人だ」と話していた。
「遺骨が重たい」とも話し、元気だった叔父は骨太だからだと思った。
繰り上げ法要が終わり、従兄である喪主が挨拶で涙を流す場面が印象的だった。
3カ月ほど叔父に合えなかったことが、本当に悔やまれる葬儀となった。
天国では、妻(我が叔母)や、姉(我が母)、義兄(我が父)に逢えただろうか。
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こちらの方は、ご高齢の方が亡くなった時は
「めでたい葬儀」と言います
でも、幾つになっても別れは悲しいもので
決してめでたいわけではありませんよね
亡き人の事をたまには思い出して、語り合うのも
いい供養だと思います
我々も必ず通らなければならない運命ですが、自分の場合は
高齢になったら(もう高齢ですが)祭りの様に弔ってほしいと思います。
今回の叔父の場合は、最後のおじおばで、80歳以上の人
が見受けられなかったのも印象的でした。